世界の死因第1位の心臓病を克服するために
WHO(世界保健機関)の発表では、世界の死因第1位は虚血性心疾患(冠動脈の血流不良による心臓病)です。心臓は、収縮・拡張を繰り返し、全身に血液を送り出すポンプの役割をしています。心臓の筋肉を動かす冠動脈が、何らかの原因で硬くなったり狭くなったりして、心臓から全身に血液を送れなくなり、心不全を起こしてしまうのが虚血性心疾患です。
このような重症な心臓病には、今のところ心臓移植しか治療方法はありません。しかし心臓の提供者(ドナー)の数は少なく、移植を待ちながら亡くなってしまう患者さんもいます。また移植した心臓への拒絶反応など、課題は山積みです。私は心臓の専門医として、心臓病の患者さんを治したい、心臓移植以外の根本的な治療方法がないものか?と模索しながら研究を始めました。
心臓病を治したいという一念で、26年前から再生医療の研究をスタート
科学の力で心臓病を治したいという思いがあっても、まだ再生医療という言葉もない頃で、最初はどうしたらいいのかわかりませんでした。国内外の留学で遺伝子レベルの研究の知見を深め、1995年に日本へ戻って、心筋(心臓の筋肉)の再生をめざす研究チームを結成しました。1999年に骨髄の細胞を使って心筋細胞をつくる研究成果を発表した時には、世界から大きな反響がありました。
その後、生産量を拡大するためにヒトES細胞※1を利用した研究を経て、血液のリンパ球からiPS細胞をつくり、iPS細胞※2から心筋細胞をつくる方法を開発しました。心筋細胞をつくって適切に移植できれば、心不全を治すことができます。この技術を医療にするための基盤づくりと安全性を確認する開発に10年かかりました。そして、基盤が全部揃ったタイミングでHeartseedを設立しました。
1995年に本格的に研究を始めてから、およそ四半世紀以上の26年の歳月がかかりましたが、心筋の再生という目的はぶれずに、こつこつと研究を続けてきたことで、ようやく再生医療の実用化の道が見えてきました。
- ※1 ヒトES細胞:全身のあらゆる部分を作り出すことができる細胞のこと。ヒトの受精卵から採取した細胞を培養して得る。
- ※2 iPS細胞:ES細胞と同様に全身の細胞を作り出すことができる。ヒトの線維芽細胞から採取した細胞を培養して得る。
iPS細胞を用いた心筋再生医療技術—Heartseedが開発した「心筋球」
Heartseedが開発した「HS-001」は、iPS細胞からつくった心筋細胞を「心筋球」と呼ぶ球状の塊にして、特別な注射針で、機能しなくなった心筋組織に直接移植します。心筋細胞をシートにして心臓の外側に貼る方法もありますが、これは短期間で心筋細胞がなくなってしまうという問題があります。純度100%の心筋細胞を心臓に直接入れる移植方法であれば、安全で長期的な生着※3が期待できます。移植に使う注射針も、鍼治療の鍼を参考にして0.51mmという細さの針を特別に開発したものです。
- ※3 生着:移植された器官が、本来の機能を果たすこと。
患者さんの負担が少なく、がん化しないiPS細胞づくりを開発
開発にあたっては、患者さんの負担をできる限り軽減でき、誰もが失敗なくiPS細胞が作れることにも配慮しました。
iPS細胞は、患者さんの皮膚細胞を採取するときに、皮膚を縫うほどの傷口ができて痛みもあります。そこで皮膚以外からiPS細胞を採取する方法として、リンパ球の一種であるT細胞※4に着眼しました。わずか1滴(0.1㎖)の血液に含まれる白血球からT細胞を取りだして遺伝子を導入すると、約4週間という短期間で効率よくiPS細胞ができます。患者さんの痛みも最小限で済みますし、冷凍保存の血液でも使えるため、国内外どこからでも血液を運ぶことができます。この技術は、いま世界中で使用されるようになりました。
- ※4 T細胞(Tリンパ球):白血球の成分のひとつであるリンパ球に含まれる細胞。病原体から身体を守るために働きます。
これまでのiPS細胞は、レトロウイルス※5という運び役を使って遺伝子を導入していました。しかしレトロウイルスには、導入先の遺伝子を活性化させて、がんを誘発する可能性がありました。私たちはレトロウイルスの代わりに、導入した遺伝子に影響を与えず、がんになる心配のないセンダイウイルス※6を運び屋として使用しています。
さらにiPS細胞から心筋細胞だけを取り出すための純化精製技術も開発しました。iPS細胞に心筋細胞以外の細胞が混じっていると、移植後に腫瘍になってしまう可能性もあるのです。こうしてさまざまな研究開発を重ねて、心筋再生のための基盤づくりを行ってきました。
- ※5 レトロウイルス:RNA(リボ核酸)を持ち、生物の細胞に感染するとDNA(デオキシリボ核酸)に転写され、感染先の細胞の染色体に組み込まれるウイルス。
- ※6 センダイウイルス:インフルエンザウイルスの一種。細胞を傷つけずに遺伝子を運ぶベクター(運び屋)として利用されている。
一人でも多くの患者さんに、健康な心臓を育む「心臓の種」を届けたい
Heartseedの会社名は、フウセンカズラという植物の種(Heart-seed)のかたちが、私たちの作製する「心筋球」とよく似ていることから名付けました。心臓に移植した「心筋球」が、健康な心臓を育む種となるように、という思いを込めています。
Heartseedは、2021年6月にデンマークの製薬企業ノボ ノルディスク社とグローバルライセンス契約を結びました。ノボ ノルディスク社は、世界80カ国に拠点を持つグローバル企業です。できる限り早く私たちの再生心筋の治療方法を世界に普及させたいという思いから決断しました。自社だけで開発するより、世界中にネットワークを持つ企業と提携すれば実用化が進み、一人でも多くの患者さんを救うことができます。再生医療の研究開発には、将来を見越したグローバルな視点も必要です。
ベンチャー企業は「アドベンチャー」! 仲間を見つけてゴールをめざす
病気を治すためには、診察や研究に専念する方法もあります。しかし、私はこれまで誰もやり遂げたことのない新しい道を見つけるために、大学の外へ足を踏み出し、ベンチャー企業として起業しました。研究成果を企業に託して臨床応用を待つよりも、“最新の再生医療で世界を変えたい”という思いからでした。また、患者さん目線のベストな治療方法を自分たちで実現したいという信念もありました。私が米国留学当時のバイオテクノロジー黎明期に、優秀な科学者が集まって設立した、有名なベンチャー企業であるアムジェン株式会社の成功事例も大いに参考にしました。
起業は、得意な能力を持つ仲間を見つけて一緒に旅へ出るアドベンチャーゲームやRPGと少し似ています。Heartseedもまた、さまざまな能力を持った優秀な仲間を見つけて集め、一緒に課題を解決しながら、目標へ向かう冒険の道を歩んでいます。若い皆さんも、自分で道を切り拓く「起業マインド」を持ち、常に新しいことに挑戦する冒険心と仲間とのチームワークをめざしてください。