がんや感染症(かんせんしょう)などさまざまな病気の原因と治療(ちりょう)を研究するために、動物を使った実験が行われています。現代の医学や生命科学の発展に必要不可欠な実験動物とは、どのようなものなのでしょうか? 医療(いりょう)や生命科学のための実験動物の研究開発を行う公益(こうえき)財団(ざいだん)法人(ほうじん) 実中研(じっちゅうけん)以下(いか)実中研(じっちゅうけん))が、人間の遺伝子を()()んだトランスジェニックマウスなどについて解説します。

医学や生命科学の発展に欠かせない動物実験

人間がかかる病気の原因やその治療薬(ちりょうやく)を研究するために、人間を病気にしたり、どのような効果があるかわからない薬を(あた)えたりすることはできません。そこで行われてきたのが、ネズミやサルなどを使った動物実験です。
動物実験には、ハツカネズミを実験室で飼えるようにしたマウスがよく使われます。もちろんマウスは人間とは(ちが)う動物ですが、生き物としての基本部分は共通しています。脊椎(せきつい)動物であれば、種類が(ちが)っても同じような病気にかかることがありますし、同じ薬が使われることもあります。また、マウスは比較的(ひかくてき)短期間で繁殖(はんしょく)するため、複数世代にわたる実験を行って結果を観察するにも、都合がよいのです。このように現代の医学や生命科学は、動物実験なしには成り立たないといえます。実中研では全所員が参列する動物慰霊(いれい)祭が毎年()(おこな)われています。医学の進歩のために犠牲(ぎせい)となった実験動物の御霊(みたま)に心より感謝の念を(ささ)げて手を合わせ、動物慰霊碑(いれいひ)献花(けんか)をしています。

動物実験の3Rの原則

実験動物についての国際原則「3R」は、Replacement (代替(だいたい))、Reduction(削減(さくげん))、Refinement(苦痛の軽減)を基本としています。

実験動物についての国際原則「3R」は、Replacement (代替(だいたい))、Reduction(削減(さくげん))、Refinement(苦痛の軽減)を基本としています。 このように現在の医学や生命科学は、動物実験によって成り立っているといっても過言ではありません。けれども、動物実験というのは、人間の生活のために動物を犠牲(ぎせい)にすることでもあり、生命を尊重する意味では望ましいことではありません。 動物実験については「3R」という国際原則があります。これは、Replacement (代替(だいたい)):なるべく意識や感覚のない生物に()(かえ)える、Reduction(削減(さくげん)):使う数を減らす、Refinement(苦痛の軽減):動物が苦しまないよう実験環境(かんきょう)をよりよくすること、を意味しています。現在の生物科学・医学においては実験動物をゼロにすることはできませんが、免疫(めんえき)不全マウスやトランスジェニック動物の開発により、サルのような非ヒト(れい)長類を必要としていた研究をマウスに置き(かえ)えることが可能となりました。さらに、それまではひとつの薬の開発のために多くの種類の動物を使っていたのに対し、特定の病気にかかる特別なマウスを開発することで、実験の効率を高めて実験回数を減らし、犠牲(ぎせい)となるマウスの数も大幅(おおはば)削減(さくげん)しているのです。

薬品の安全性を確認(かくにん)するための道のり

医薬品は、安全性を確かめるために長期的な基礎(きそ)研究、非臨床(りんしょう)試験、臨床(りんしょう)試験を行った上で、承認(しょうにん)審査(しんさ)の過程を経て実際に使われます。

動物実験は、医薬品の安全性を確かめるためにも重要な役割を果たしています。医薬品は、病気を治すだけでなく健康なヒトにも害を(あた)えることがあるため、マウスをはじめとした動物による試験(非臨床(りんしょう)試験)を行って、どのような効果があり、どのような副作用があるかをしっかりと見きわめてから、はじめて人間を使った試験(臨床(りんしょう)試験)を行います。予防接種のワクチンや、薬局で売っている風邪薬(かぜぐすり)や胃薬、あるいは、もっと重い病気にかかったときに病院で使う医薬品のひとつひとつが、そのような試験に合格しているのです。
さらには、ふだん(わたし)たちが口にしている食べ物や飲み物には、人工的に作られた調味料や着色(ざい)、品質を保つための抗菌(こうきん)(ざい)や保存料などが(ふく)まれています。これらも、実際に使われるまで長期間にわたって動物に投与(とうよ)して、害がないかどうか安全性を確認(かくにん)しています。
病気には、動物の種類によって発症(はっしょう)するものとしないものがあります。これは、動物の種類が(ちが)うと免疫(めんえき)のしくみが異なったり、動物の細胞(さいぼう)侵入(しんにゅう)できないことでウイルスなどが増えなかったりするからです。そのため、人間がかかる病気についての実験には、免疫(めんえき)不全マウスやトランスジェニックマウスと呼ばれる特殊(とくしゅ)なマウスが使われています。

自然界では生きていけない免疫(めんえき)不全マウス

免疫(めんえき)不全マウスは、外見からは普通(ふつう)のマウスと区別できないことが多いです。

免疫(めんえき)不全マウスは1960 年代に突然変異(とつぜんへんい)(自然に生まれた特別な個体)として発見されたのが最初で、生まれつき免疫(めんえき)を持っていません。免疫(めんえき)とは病原菌(びょうげんきん)やウイルスに抵抗(ていこう)する力です。免疫(めんえき)不全マウスは免疫(めんえき)を持たないため、自然界ではすぐに病気にかかって生きることができませんが、病原菌(びょうげんきん)やウイルスのない専用の飼育室で育てることができます。

マウスの体内に移植して人間の細胞(さいぼう)を観察・研究する

移植したヒトの肝細胞(かんさいぼう)が、免疫(めんえき)不全マウス体内の肝臓(かんぞう)となります。

免疫(めんえき)を持たないということは、ほかの生物の細胞(さいぼう)を移植しても免疫(めんえき)がはたらかず拒絶(きょぜつ)反応が起きません。小さなマウスに人間の大きな臓器を移植することはできませんが、細胞(さいぼう)や組織のかけらを免疫(めんえき)不全マウスの臓器に移植すると、その細胞(さいぼう)増殖(ぞうしょく)します。人間の細胞(さいぼう)を移植したマウスに薬品や病原菌(びょうげんきん)(あた)えれば、人間の細胞(さいぼう)がどう変化するか観察できます。さらに、どのような薬品を作用させれば病気になった細胞(さいぼう)治療(ちりょう)できるかも研究できるのです。
免疫(めんえき)不全マウスは、発見以来さまざまな研究に利用され、感染症(かんせんしょう)糖尿病(とうにょうびょう)、がんなど各種の病気の治療(ちりょう)に成果を上げています。

コラム
細菌(さいきん)やウイルスから体を守る「免疫(めんえき)

免疫(めんえき)を利用したワクチンのしくみ

人間や動物の身体には、細菌(さいきん)やウイルスなどが(はい)()んだときに排除(はいじょ)しようとする「免疫(めんえき)」とよばれるしくみがあります。免疫(めんえき)がうまくはたらいていれば、多少の病原性細菌(さいきん)やウイルスが侵入してきても大丈夫(だいじょうぶ)なのですが、身体が弱っているときなど免疫(めんえき)がうまくはたらいていないときには体内での細菌(さいきん)やウイルスの繁殖(はんしょく)(おさ)えきれなくなってしまいます。
免疫(めんえき)のしくみは非常に複雑ですが、一度身体に侵入した細菌(さいきん)やウイルスを記憶(きおく)して、次に侵入したときにはよりすみやかに排除(はいじょ)するという特徴(とくちょう)があります。いわば病気の対抗(たいこう)手段を身体が覚えるわけです。
インフルエンザやはしか、日本脳炎(にほんのうえん)の予防接種やワクチン接種は、それぞれのウイルスの毒性を減らしたものを注射して、わざと軽く感染(かんせん)させることで身体に免疫(めんえき)を持たせるものです。その結果、病気にかかりにくくなり、かかっても症状(しょうじょう)が軽くてすむようになります。

医学のために実験動物を開発する

実中研が開発した免疫(めんえき)のない(ちょう)免疫(めんえき)不全マウス「NOG マウス」。

実中研は、医学のためにマウスなどの実験動物を開発し、大学や研究機関、医薬品メーカーの研究所などと共同研究しています。第二次世界大戦後、近代的な医療(いりょう)の発展のためにマウスやラット、スナネズミなどの飼育・繁殖(はんしょく)方法を研究できるように、実中研が設立されました。腸内細菌(さいきん)も持たない無菌(むきん)で育てたマウス、免疫(めんえき)不全マウスの飼育と改良、人間の遺伝子を()()んだトランスジェニックマウスの開発で大きな成果をあげています。特に実中研が開発した免疫(めんえき)のない(ちょう)免疫(めんえき)不全マウス「NOGマウス」は世界中の研究機関で使われています。

人間の遺伝子を持つトランスジェニックマウス

マウスの受精卵(じゅせいらん)に遺伝子を注入しているところ。

動物が誕生する際、受精卵(じゅせいらん)分裂(ぶんれつ)して手や足、臓器といったさまざまな組織に成長します。マウスに受精直後の段階で、精子と卵子(らんし)の遺伝子が混ざり合うタイミングを見計らって人間の遺伝子を注入することにより人間の遺伝子がマウスの中に入ってしまいます。その結果、成長したマウスには人間と同じような性質が部分的にみられるようになります。これがトランスジェニック(遺伝子改変)マウスです。
()()む遺伝子は一部なので、マウスであることに変わりはありません。けれども、人間と似た免疫(めんえき)のしくみを持たせることで、人間と同じ病気にかかるマウスを作ることができるのです。
生命科学の研究が進み、(わたし)たちの身体の設計図である遺伝子のどの部分がどのような機能を持っているかが詳細(しょうさい)にわかってきました。このような遺伝子を()()んだトランスジェニックマウスによって免疫(めんえき)機構に関係する研究も可能となり、さまざまな病気の研究に利用されています。また、最近ではゲノム編集という新しい技術で、遺伝子を(こわ)したり、挿入(そうにゅう)したりすることができるようになっています。

コラム
iPS 細胞(さいぼう)(ちょう)免疫(めんえき)不全マウス「NOGマウス」

線維(せんい)芽細胞(がさいぼう)から樹立したヒトiPS細胞(さいぼう)のコロニー(集合体)。コロニーの横幅(よこはば)は実寸約0.5ミリメートル。 ※写真提供:京都大学 山中伸弥(しんや)

2012年にノーベル賞を受賞した京都大学の山中伸弥(しんや)教授が作製した iPS 細胞(さいぼう)は、iPS 細胞(さいぼう)から臓器を再生して人間に移植できることから、再生医療(いりょう)の切り札として期待を集めています。
iPS 細胞(さいぼう)を実際に患者(かんじゃ)さんに使用する前には、がんができないか、ほかの細胞(さいぼう)が死んでしまわないかなど、細胞(さいぼう)患者(かんじゃ)さんにとって安全であるかどうかを調べなければなりません。
そのために実中研が開発した NOG マウスを使います。NOG マウスに iPS 細胞(さいぼう)を移植してみることで、iPS 細胞(さいぼう)患者(かんじゃ)さんに使えるかどうかを調べることができるのです。実際に、iPS細胞(さいぼう)から網膜(もうまく)細胞(さいぼう)を作り、加齢(かれい)網膜(もうまく)変性(しょう)という病気に使うために安全かどうか、日本で初めてこのNOGマウスで検査されました。現在、iPS 細胞(さいぼう)の実用化に向けて、さまざまな細胞(さいぼう)がNOG マウスを使って実験されています。

ポリオ根絶に向けたトランスジェニックマウス「ポリオマウス」の活用

実中研が実験動物化したトランスジェニックマウス「ポリオマウス」(TgPVRマウス)。

実中研が作ったトランスジェニックマウスが、ポリオ(脊髄(せきずい)小児(しょうに)麻痺(まひ))の根絶のために使われています。ポリオは、日本ではほぼ根絶されていますが、発展途上国(とじょうこく)では今でも多くの子どもがかかっていて、治っても手足が不自由になることがある病気です。ワクチンで予防可能な病気ですが、ごくまれにワクチンが強毒化することがあり、接種するとポリオが発症(はっしょう)してしまう危険性があります。
もともとポリオは人間とサルしかかからない病気ですが、ポリオにかかるトランスジェニックマウス「ポリオマウス」が開発されたことでマウスによるワクチンの検査が可能となり、より安全なワクチンの開発ができるようになりました。
国際連合の専門機関である世界保健機構(WHO)の取り組みによって1988 年に世界 125 か国以上で 35 万人いたポリオの感染者(かんせんしゃ)の報告数が、2021 年には 6 件まで減ってきています。

ヒトに近い霊長類(れいちょうるい)の実験動物「コモンマーモセット」

霊長類(れいちょうるい)の実験動物コモンマーモセット。

実験動物のマウスは医学・生命科学の研究に幅広(はばひろ)く用いられていますが、その一方で、霊長類(れいちょうるい)霊長(れいちょう)目 Primates)であるヒトとげっ歯類(げっ歯目 Rodentia)のマウスでは、身体の形態や生理機能においてさまざまな(ちが)いがあることは明らかです。たとえば、記憶(きおく)、思考、推理などの働きをする大脳(皮質)が(いちじる)しく大きく発達したヒトの脳はげっ歯類の脳とくらべて形態や機能が大きく異なります。そのため、脳の病気の原因や治療(ちりょう)の研究では、げっ歯類を用いて得られた実験結果が必ずしもヒトにあてはまらないことがあります。そのような場合は、ヒトと同じ霊長類(れいちょうるい)に属する動物が研究に貢献(こうけん)しています。
コモンマーモセット(学名Callithrix jacchus)は、霊長類(れいちょうるい)でありながら体重350gぐらいの小型で()(あつか)いやすく、繁殖(はんしょく)しやすいという特性があり実験動物として利用されています。コモンマーモセットでも、ヒトの病気の原因とされる遺伝子の変異をもつ遺伝子改変動物の作出が進められています。また、家族で行動する、父親や兄、姉が新生(しんせい)()の育児を手伝(てつだ)うなど、ヒトと似た行動をすることから、アルツハイマー病やパーキンソン病、うつ病、統合失調(しょう)といった、マウスでは再現することが難しい脳の病気の症状(しょうじょう)や病気の進行を理解し、治療法(ちりょうほう)を開発するための実験動物として期待されています。

実験動物を使った研究に興味がわいたら、次のキーワードを組み合わせて、インターネットの検索(けんさく)エンジンでさらに深く調べてみましょう。
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公益財団法人 実中研 理事長の野村 龍太(りゅうた)さんへのインタビュー記事はこちら

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