電車の運転手さんになりたかった少年が、世界で活躍する商社マンから理事長へ
私は、医学者であり実中研創設者の故・野村達次の息子として生まれました。子どもの頃は自宅の庭に研究所があり、父をはじめとした研究者や実験動物関係者が実験に取り組む姿を見て暮らしていました。子どもの自分にはこの研究所の重要さも分からず、「父親と同じ仕事は絶対にしない!」と子どもながらに思っていました。当時は「京急の運転手さんになりたい」と、心から思っていました。
学校では理科が嫌い、生物、化学が嫌い、英語が嫌い(音楽は苦手)という生徒でした。高校では剣道部の厳しい稽古で鍛えられ、そのときの経験で「何があってもやっていける」という自信だけはつきました。その後大学を卒業して英語嫌いにもかかわらず、なぜか商社に入れていただき、商社マンとして世界のバイオイノベーションの現場に関わっていくことになりました。父と同じ仕事はしないと考えていたのに、世界の最新バイオ医療の業界に関わったことで、父の実中研の取り組みを初めて真面目に調べてみて、知財※1の宝庫であることを知りました。しかし、文化功労者となり勲二等瑞宝章を受章するほどの優秀な研究者であった父は経営の専門ではなく、常に借金の中で世界的な研究を続けている状況でした。財政が不安定では、すばらしい成果が期待される研究も安心してできません。これではせっかくの研究成果が社会に活かされないと思い、商社を辞めて実中研に入り、15年位かけて安定した財務内容の研究所に体質改善しました。
- ※1 知財:知的財産の略。「価値のある情報」。新たに生み出された技術やアイデア、ユニークなデザイン、蓄積された技術上又は営業上の情報やノウハウ等。
ただ実験動物を売るのではない-
医療分野における日本発「世界標準システム」構築へ
一般的に研究所は研究だけを行う場所で、ビジネスは行いません。しかし研究成果である実験動物や数々の技術を実際に社会の役に立てるためには、医学研究者や製薬企業の方々が実際に使えるように事業化する必要があります。そのために実中研では研究成果を商品化して、企業にライセンスをして世界中の人々に活用してもらえるようにしています。
我々は実験動物をただものとして売ることは考えていません。総合システムとして世の中に提案しています。たとえばポリオ(小児麻痺)の撲滅に向けた仕事では、実中研で開発したポリオマウスを使って生ワクチンの安全性の検定を行い、安全だと証明されたワクチンがアフリカやパキスタンなどに供給されています。この開発には20年以上かかり、アメリカのNIH(国立衛生研究所), FDA(食品医薬品局)などと協力してWHO(世界保健機関)のポリオ撲滅プログラムの正式検定動物に採用され、世界標準試験システムになりました。
他にも、がん原性試験用遺伝子改変マウス「rasH2マウス」は、世界標準システムに認定され、グローバルスタンダードとして現在世界中で使用され、新薬の開発に大きく貢献しています。
ヒトの免疫系や臓器などをマウスの中で置き換えていくことができる「NOGマウス」や「ヒト化マウス」は、ヒトが使う医薬品や医療機器、再生医療や細胞治療などの効果を確かめるために、世界で活用されています。また科学雑誌『Nature』の表紙を飾った、遺伝子改変霊長類「トランスジェニック・マーモセット」は、創薬研究や再生医療研究などの生命科学研究分野に大きな貢献をしています。
また、科学的合理性と動物福祉のバランスも大切なことです。実中研では、適正な動物実験に向けて国際原則の「3R」に配慮した動物実験を実現しています。
これらは我々の仕事の一部ですが、川崎発・日本発の技術を世界の人類の健康に貢献していくことこそが、実中研のめざす姿です。
→公益財団法人 実中研の紹介記事はこちら
実中研スピリットは、俯瞰※2してものを見ること
父は、亡くなる前に「妥協するな」「人のやらないことをやれ」「世界で戦え」という3つの言葉を私に残してくれました。それは父自身の生き方でもあり、その後の私の指針となって生き続けています。
「人のやらないことをやれ」という言葉は、実中研のパイオニア精神にも息づいています。実中研が、世界で評価されるユニークなポジションにいるのは、このスピリットが我々の心に根付いているからではないかと思います。
実中研は、研究者集団です。研究者はものごとを深く掘り下げていくことは得意です。しかしいまの時代、それだけでは足りない。常に全体を見回して、鳥のように空に舞い上がって、そこから俯瞰して眺め、前後左右いろいろな角度からものごと見るためのフレキシブルな視点や考え方も必要です。俯瞰して見ることを象徴する存在として、社屋の屋根にロゴを大きく描きました。
- ※2 俯瞰:高い場所から下を見ることや、ものごとを広い視野でみること
何もなかった殿町が、日本トップクラスのサイエンス拠点へと発展
以前、宮前区野川にあった研究所が古くなったので、2011年夏に新たな研究所に引っ越しを行いました。
場所は川崎区殿町3丁目地区。羽田空港のそばにあり、世界展開をするためには大変よい立地だと考えて、当時はまだ砂埃舞う殿町に第一号として進出しました。
進出した当初は何もない場所で、「暴挙」とか「二代目の無謀なチャレンジ」といった声もありました。さらに引っ越しのために、国と相談して準備した40億円ほどの資金のうち、25億円を民主党の仕分けで吸い上げられてしまい、大借金生活が始まりました。「儲けてはいけない公益財団がどうやって25億円のお金を返せるのか?」と聞かれ、ほぼすべての銀行から融資を断られました。しかし最後には横浜銀行の小川頭取が、川崎市と神奈川県が進めるプロジェクトを応援するのが地方銀行の使命であるとして、お金を融資してくださいました。
この日から私は25億円のお金を個人保証して、返していく運命を背負うことになりました。そこで考えたのは、1+1=2というような堅実な方法で返済していったらこのような大きなお金は返せない、大きな風を吹かせようということです。「風が吹けばお金は回る」という商社時代に学んだビジネスの知恵を活かし、川崎市と神奈川県と共に国際戦略総合特区に応募し、何もない殿町を「21世紀の日本のバイオイノベーションのショーケースにする」「世界の中の日本」を掲げました。「そのためには真っ白な画用紙に絵を描いた方がきれいな絵が描ける」という逆張りの提案を行い、関係者の熱い思いと共にトップ当選を果たしました。ようやくお金が回りはじめ、海外戦略や国内戦略の成功もあって実中研の借金も解消され、殿町3丁目地区は「キング スカイフロント」と命名され、現在に至る発展を遂げています。
12年経ったいま(2023年現在)、70を超える機関が集まり、日本でもトップクラスを誇るサイエンス拠点ができました。
「キング スカイフロント」のまち創りは、まるで何もない無人島から世界を構築していくゲームをプレイしているようでした。最初の建物を建てて、まちに人が集まり、食べるところができ、郵便局・コンビニができ、交番ができ、バスが走り、対岸の羽田空港への橋ができて、どんどん有名な場所になっていく。ゲームがそのままリアルになっていった感覚で、これほど楽しいことはありません。これからも、ヒト・モノ・コトが集まる最先端地区として発展していくことでしょう。
苦しい時こそ笑顔を絶やさない
経営を立て直した実中研ですが、現在に至るまではお話したように紆余曲折大変な道のりでした。
私がそこで得たことは、苦しい時に笑顔を絶やさないということでした。文句を言っているだけ、暗いことを言っているだけでは、間違いなく幸せはやってきません。不幸な時には不幸をさらに呼び寄せます。居直ってもっと悪いことが来ればいいんだと思うことによって、不思議と悪い運はどこかに飛んでいきます。苦しいと感じる一方で、この不幸な経験は、将来必ずおもしろい役に立つ話となってくれるだろうと思っていました。
若い皆さんも、これから苦しい時やどうしようもない状況に陥る時があるかもしれません。そんな時でも「まわりの人は自分を見てくれている」と信じていると、必ずまわりに手を差し伸べてくれる味方が登場してくれるはずです。自分で自分の枠を決めつけないで、限りないチャンスと可能性があることを忘れないでいてください。それこそ、まち創りゲームをプレイしている気持ちで、何度でもチャレンジすればいいと思います。
好きだとか嫌いだとかは、自分の思い込みかもしれないと疑ってみる
中学生の頃の私は、今やっているような仕事をするとはまったく思っていませんでした。勉強が嫌い、字が嫌いな子どもでした。それがなぜか、いまは医学に関わる動物を使った世界最先端の研究所の理事長をやるようになりました。
好きだとか嫌いだとかは、自分の思い込みかもしれません。「人間は認知を求める戦い」を常にし続ける生き物です。人にほめられたい、認められたいと思って生きている中で、自分の存在意義を自分なりに感じてくるのではないでしょうか。その中で自分のやりたいことを決めていってもいいのではないでしょうか。
いまやりたいことがある人は、ぜひそこに向けて邁進※3してください。失敗してもこれからの世の中は、敗者復活が可能になると思います。まだ見つからない人は、これから見つけていきましょう。前向きに考えていれば、きっと見つかるはずです。
社会に出てからの私は、「今日、いまこの瞬間が人生で最高に楽しい」と思い続けています。
- ※3 邁進:目的に向かってひたすらに突き進むこと
これまでの技術を生かして-
不妊治療やがん患者のアバターマウス
将来は実験動物の開発だけではなく、そこから派生した技術をいろいろな形で新しい分野に発展させていきたいと考えています。
たとえば、遺伝子改変動物を自動で作る機械を開発してきましたが、今後はそのマニピュレーション技術を人間の不妊治療に役立てて展開していきたいと考えています。またヒトの細胞を使った試験管内での実験や3D技術を使った実験動物を使わない安全性試験がこれから増えていくと思われます。我々は実験動物を使ってヒトの細胞をもっと良い細胞として作る技術を確立しつつあります。実験動物の技術を、別の形で幅広く使っていきたいと思います。
特にがんの患者さんのアバターマウス(患者さんと同じがんを持ったマウス)を、病院の横に作った動物舎に置いて、その患者さんにとって最適な治療法をアバターマウスを使って決めていくような形での貢献も可能です。
これからも引き続き、実中研の技術をシステムとして、世界に提案し続けていきたいと思います。
動画インタビュー
川崎発・日本初の技術を世界の人類の健康に役立てたい
子ども時代の話や何事も経験しておくことの大切さ、そして実中研の現在とこれからについて、野村龍太理事長が動画で語っています。