医療(いりょう)や生命科学のための実験動物の研究開発を行う公益(こうえき)財団(ざいだん)法人(ほうじん) 実中研(じっちゅうけん)以下(いか)実中研(じっちゅうけん))は、川崎市(かわさきし)殿町(とのまち)のキング スカイフロントに位置し、実験動物の開発から日本発の世界標準システムづくりに貢献(こうけん)しています。理事長の野村龍太(りゅうた)さんに、実中研の取り組みについてのお話を(うかが)いました。

電車の運転手さんになりたかった少年が、世界で活躍(かつやく)する商社マンから理事長へ

理事長の野村龍太(りゅうた)さん。父の野村達次さんは、6(ひき)のマウスの飼育から実験動物の開発・研究を始めて、のちに実中研を創設しました。

(わたし)は、医学者であり実中研創設者の()・野村達次の息子(むすこ)として生まれました。子どもの(ころ)は自宅の庭に研究所があり、父をはじめとした研究者や実験動物関係者が実験に取り組む姿を見て暮らしていました。子どもの自分にはこの研究所の重要さも分からず、「父親と同じ仕事は絶対にしない!」と子どもながらに思っていました。当時は「京急(けいきゅう)の運転手さんになりたい」と、心から思っていました。
学校では理科が(きら)い、生物、化学が(きら)い、英語が(きら)い(音楽は苦手)という生徒でした。高校では剣道(けんどう)部の厳しい稽古(けいこ)(きた)えられ、そのときの経験で「何があってもやっていける」という自信だけはつきました。その後大学を卒業して英語(きら)いにもかかわらず、なぜか商社に入れていただき、商社マンとして世界のバイオイノベーションの現場に(かか)わっていくことになりました。父と同じ仕事はしないと考えていたのに、世界の最新バイオ医療(いりょう)の業界に(かか)わったことで、父の実中研の取り組みを初めて真面目(まじめ)に調べてみて、知財※1の宝庫であることを知りました。しかし、文化功労者となり勲二等(くんにとう)瑞宝章(ずいほうしょう)を受章するほどの優秀(ゆうしゅう)な研究者であった父は経営の専門ではなく、常に借金の中で世界的な研究を続けている状況(じょうきょう)でした。財政が不安定では、すばらしい成果が期待される研究も安心してできません。これではせっかくの研究成果が社会に()かされないと思い、商社を()めて実中研に入り、15年位かけて安定した財務内容の研究所に体質改善しました。

  • ※1 知財:知的財産の略。「価値のある情報」。新たに生み出された技術やアイデア、ユニークなデザイン、蓄積された技術上又は営業上の情報やノウハウ等。

ただ実験動物を売るのではない- 医療(いりょう)分野における日本発「世界標準システム」構築へ

世界で初めての遺伝子改変非ヒト霊長類(れいちょうるい)「トランスジェニック・マーモセット」の開発に成功。国際的な科学雑誌『Nature』(2009年5月28日号)の表紙を(かざ)りました。

一般的(いっぱんてき)に研究所は研究だけを行う場所で、ビジネスは行いません。しかし研究成果である実験動物や数々の技術を実際に社会の役に立てるためには、医学研究者や製薬企業(きぎょう)方々(かたがた)が実際に使えるように事業化する必要があります。そのために実中研では研究成果を商品化して、企業(きぎょう)にライセンスをして世界中の人々(ひとびと)に活用してもらえるようにしています。
我々(われわれ)は実験動物をただものとして売ることは考えていません。総合システムとして世の中に提案しています。たとえばポリオ(小児(しょうに)麻痺(まひ))の撲滅(ぼくめつ)に向けた仕事では、実中研で開発したポリオマウスを使って生ワクチンの安全性の検定を行い、安全だと証明されたワクチンがアフリカやパキスタンなどに供給されています。この開発には20年以上かかり、アメリカのNIH(国立衛生研究所), FDA(食品医薬品局)などと協力してWHO(世界保健機関)のポリオ撲滅プログラムの正式検定動物に採用され、世界標準試験システムになりました。
(ほか)にも、がん原性試験用遺伝子改変マウス「rasH2マウス」は、世界標準システムに認定(にんてい)され、グローバルスタンダードとして現在世界中で使用され、新薬の開発に大きく貢献(こうけん)しています。
ヒトの免疫(めんえき)系や臓器などをマウスの中で()()えていくことができる「NOGマウス」や「ヒト化マウス」は、ヒトが使う医薬品や医療(いりょう)機器、再生医療(いりょう)細胞(さいぼう)治療(ちりょう)などの効果を確かめるために、世界で活用されています。また科学雑誌『Nature』の表紙を(かざ)った、遺伝子改変霊長類(れいちょうるい)「トランスジェニック・マーモセット」は、創薬研究や再生医療(いりょう)研究などの生命科学研究分野に大きな貢献(こうけん)をしています。
また、科学的合理性と動物福祉(ふくし)のバランスも大切なことです。実中研では、適正な動物実験に向けて国際原則の「3R」に配慮(はいりょ)した動物実験を実現しています。
これらは我々(われわれ)の仕事の一部ですが、川崎(かわさき)発・日本発の技術を世界の人類の健康に貢献(こうけん)していくことこそが、実中研のめざす姿です。

→公益財団法人 実中研の紹介(しょうかい)記事はこちら

実中研スピリットは、俯瞰(ふかん)※2してものを見ること

実中研社屋の屋根には、英語名であるCentral Institute for Experimental Animalsのロゴ「CIEA」が大きく(えが)かれています。バーチャル地球儀(ちきゅうぎ)システム「Google Earth」で探してみてください。
※2024年4月1日からCentral Institute for Experimental Medicine and Life Science(CIEM)に改称

父は、()くなる前に「妥協(だきょう)するな」「人のやらないことをやれ」「世界で戦え」という3つの言葉を(わたし)に残してくれました。それは父自身の生き方でもあり、その後の(わたし)の指針となって生き続けています。
「人のやらないことをやれ」という言葉は、実中研のパイオニア精神にも息づいています。実中研が、世界で評価されるユニークなポジションにいるのは、このスピリットが我々(われわれ)の心に根付いているからではないかと思います。
実中研は、研究者集団です。研究者はものごとを深く()()げていくことは得意です。しかしいまの時代、それだけでは足りない。常に全体を見回して、鳥のように空に()い上がって、そこから俯瞰(ふかん)して(なが)め、前後左右いろいろな角度からものごと見るためのフレキシブルな視点や考え方も必要です。俯瞰(ふかん)して見ることを象徴(しょうちょう)する存在として、社屋の屋根にロゴを大きく(えが)きました。

  • ※2 俯瞰:高い場所から下を見ることや、ものごとを広い視野でみること

何もなかった殿町(とのまち)が、日本トップクラスのサイエンス拠点(きょてん)へと発展

実中研は、川崎市(かわさきし)殿町(とのまち)地区の国際戦略拠点(きょてん)「キング スカイフロント」にあります。空・陸・海すべてのルートが充実(じゅうじつ)した「キング スカイフロント」は、世界最高水準の研究開発から新産業を創出するオープンイノベーション拠点(きょてん)です。

以前、宮前区野川にあった研究所が古くなったので、2011年夏に新たな研究所に()()しを行いました。
場所は川崎区(かわさきく)殿町(とのまち)3丁目地区。羽田空港のそばにあり、世界展開をするためには大変よい立地だと考えて、当時はまだ砂埃(すなぼこり)()殿町(とのまち)に第一号として進出しました。
進出した当初は何もない場所で、「暴挙」とか「二代目の無謀(むぼう)なチャレンジ」といった声もありました。さらに()()しのために、国と相談して準備した40億円ほどの資金のうち、25億円を民主党の仕分けで吸い上げられてしまい、大借金生活が始まりました。「(もう)けてはいけない公益財団がどうやって25億円のお金を返せるのか?」と聞かれ、ほぼすべての銀行から融資(ゆうし)を断られました。しかし最後には横浜(よこはま)銀行の小川頭取(とうどり)が、川崎市(かわさきし)神奈川県(かながわけん)が進めるプロジェクトを応援(おうえん)するのが地方銀行の使命であるとして、お金を融資(ゆうし)してくださいました。
この日から(わたし)は25億円のお金を個人保証して、返していく運命を背負うことになりました。そこで考えたのは、1+1=2というような堅実(けんじつ)な方法で返済していったらこのような大きなお金は返せない、大きな風を()かせようということです。「風が()けばお金は回る」という商社時代に学んだビジネスの知恵(ちえ)()かし、川崎市(かわさきし)神奈川県(かながわけん)と共に国際(こくさい)戦略(せんりゃく)総合(そうごう)特区(とっく)応募(おうぼ)し、何もない殿町(とのまち)を「21世紀の日本のバイオイノベーションのショーケースにする」「世界の中の日本」を(かか)げました。「そのためには真っ白な画用紙に絵を()いた方がきれいな絵が(えが)ける」という逆張りの提案を行い、関係者の熱い思いと共にトップ当選を果たしました。ようやくお金が回りはじめ、海外戦略や国内戦略の成功もあって実中研の借金も解消され、殿町(とのまち)3丁目地区は「キング スカイフロント」と命名され、現在に至る発展を()げています。
12年()ったいま(2023年現在)、70を()える機関が集まり、日本でもトップクラスを(ほこ)るサイエンス拠点(きょてん)ができました。
「キング スカイフロント」のまち(つく)りは、まるで何もない無人島から世界を構築していくゲームをプレイしているようでした。最初の建物を建てて、まちに人が集まり、食べるところができ、郵便局・コンビニができ、交番ができ、バスが走り、対岸の羽田空港への橋ができて、どんどん有名な場所になっていく。ゲームがそのままリアルになっていった感覚で、これほど楽しいことはありません。これからも、ヒト・モノ・コトが集まる最先端(さいせんたん)地区として発展していくことでしょう。

苦しい時こそ笑顔(えがお)を絶やさない

()・野村達次(前実中研所長)によって開催(かいさい)された「ヒト化マウスワークショップ(International Workshop on Humanized Mice: IWHM)」は、世界各国の研究機関が集まって知見を共有する場となりました。

経営を立て直した実中研ですが、現在に至るまではお話したように紆余曲折(うよきょくせつ)大変な道のりでした。
(わたし)がそこで得たことは、苦しい時に笑顔(えがお)を絶やさないということでした。文句を言っているだけ、暗いことを言っているだけでは、間違(まちが)いなく幸せはやってきません。不幸な時には不幸をさらに呼び寄せます。居直ってもっと悪いことが来ればいいんだと思うことによって、不思議と悪い運はどこかに飛んでいきます。苦しいと感じる一方で、この不幸な経験は、将来必ずおもしろい役に立つ話となってくれるだろうと思っていました。
若い(みな)さんも、これから苦しい時やどうしようもない状況(じょうきょう)(おちい)る時があるかもしれません。そんな時でも「まわりの人は自分を見てくれている」と信じていると、必ずまわりに手を()()べてくれる味方が登場してくれるはずです。自分で自分の(わく)を決めつけないで、限りないチャンスと可能性があることを忘れないでいてください。それこそ、まち(つく)りゲームをプレイしている気持ちで、何度でもチャレンジすればいいと思います。

好きだとか(きら)いだとかは、自分の(おも)()みかもしれないと疑ってみる

毎年夏休みに開催(かいさい)している実中研主催(しゅさい)のサイエンスイベント「サイエンスキャンプ」。研究所での体験実験や研究員の講義を通して、子ども(たち)の自然科学や医療(いりょう)への知的好奇心(こうきしん)(はぐく)んでいます。

中学生の(ころ)(わたし)は、今やっているような仕事をするとはまったく思っていませんでした。勉強が(きら)い、字が(きら)いな子どもでした。それがなぜか、いまは医学に(かか)わる動物を使った世界最先端(さいせんたん)の研究所の理事長をやるようになりました。
好きだとか(きら)いだとかは、自分の(おも)()みかもしれません。「人間は認知(にんち)を求める戦い」を常にし続ける生き物です。人にほめられたい、認められたいと思って生きている中で、自分の存在意義を自分なりに感じてくるのではないでしょうか。その中で自分のやりたいことを決めていってもいいのではないでしょうか。
いまやりたいことがある人は、ぜひそこに向けて邁進(まいしん)※3してください。失敗してもこれからの世の中は、敗者復活が可能になると思います。まだ見つからない人は、これから見つけていきましょう。前向きに考えていれば、きっと見つかるはずです。
社会に出てからの(わたし)は、「今日(きょう)、いまこの瞬間(しゅんかん)が人生で最高に楽しい」と思い続けています。

  • ※3 邁進(まいしん):目的に向かってひたすらに突き進むこと

これまでの技術を生かして- 不妊(ふにん)治療(ちりょう)やがん患者(かんじゃ)のアバターマウス

実中研の生殖(せいしょく)工学研究室では、生殖(せいしょく)工学に関連する技術、機器およびリソースの研究開発を行っています。

将来は実験動物の開発だけではなく、そこから派生した技術をいろいろな形で新しい分野に発展させていきたいと考えています。
たとえば、遺伝子改変動物を自動で作る機械を開発してきましたが、今後はそのマニピュレーション技術を人間の不妊(ふにん)治療(ちりょう)に役立てて展開していきたいと考えています。またヒトの細胞(さいぼう)を使った試験管内での実験や3D技術を使った実験動物を使わない安全性試験がこれから増えていくと思われます。我々(われわれ)は実験動物を使ってヒトの細胞(さいぼう)をもっと良い細胞(さいぼう)として作る技術を確立しつつあります。実験動物の技術を、別の形で幅広(はばひろ)く使っていきたいと思います。
特にがんの患者(かんじゃ)さんのアバターマウス(患者(かんじゃ)さんと同じがんを持ったマウス)を、病院の横に作った動物舎に置いて、その患者(かんじゃ)さんにとって最適な治療法(ちりょうほう)をアバターマウスを使って決めていくような形での貢献(こうけん)も可能です。
これからも引き続き、実中研の技術をシステムとして、世界に提案し続けていきたいと思います。

動画インタビュー
川崎(かわさき)発・日本初の技術を世界の人類の健康に役立てたい

子ども時代の話や何事も経験しておくことの大切さ、そして実中研の現在とこれからについて、野村龍太(りゅうた)理事長が動画で語っています。

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